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第207回 同志社東京歩こう会 ”白金高輪地区散策“

第207回 同志社東京歩こう会 ”白金高輪地区散策“

 

実施日 2023年5月12日 集合場所 地下鉄白金高輪駅 1番出口

案内人 小林繁藏(法43) サポーター 末松建樹(44経)、宇野多恵子(53商)

天候 快晴   参加人数36名

 

コース:駅屋上→旧細川邸内”椎の木“→内蔵助他16名忠烈碑→覚林寺(清正公)

→立行寺(大久保彦左衛門・一心太助碑)→氷川神社→北里柴三郎記念館

→昼食後・港区郷土歴史館(旧公衆衛生院)→八芳園・解散→白金台駅

 

白金地区は応永年間(800年程前)に土地成金が大量の銀を所有した事から

“白金”と呼ばれるようになった。

この地は高低差が激しく(地下鉄駅で地上まで80m位)平坦部は殆ど無い不便な地で

その為徳川時代での外様大名の下屋敷が多かった。

又東海道1号線と違い周辺部にお寺が多く、民家も少なく寂しい場所だった。

 

 

椎の木:旧細川藩下井屋敷邸内の巨木・樹齢700年と言われている。

 

 

 

 

忠烈碑:浅野家大石内蔵助他16名自害の場所・当時は碑と墓もあったが後日、

吉良親戚にあたる伊達家からクレームが出痕跡を残さない場所となりその後囲いを設置。

 

 

覚林寺:加藤清正公を祭られている。その後肥後藩加藤家二代目が忠長大納言に関係した所以で

御家断絶・肥後北部の細川家に吸収された。

 

 

立行寺:有力旗本“大久保彦左衛門、一心太助等の菩提寺・当初1630年麻布に創建されたが

火災に合い1668年この地に再建された。

 

 

白金神社:白鳳時代700年頃創建されたが戦災で焼失、1958年再建された。

 

 

北里柴三郎記念館:北里柴三郎は熊本出身で、熊本バンドが同志社に合流した同時代に

熊本医学校を経て東京医学校に入学、卒後内務省入局し独逸留学・コッホに師事する。

破傷風菌純粋培養に成功し、免疫抗体発見後血清療法を確立。

記念館にはノーベル賞受賞の大村博士の偉業も展示されている。

 

 

東京大学医科学研究所:当初内務省管轄で主に伝染病予防に特化し

芝愛宕に北里柴三郎が設立したが、その後文部省管轄となり北里は研究所から離れた。

慶応大学医学部は北里が設立当初より関与初代医学部長を務めた。

又日本医師会設立等日本医学の礎を築いた。

 

港区郷土歴史館(旧公衆衛生院):当時は医事関係の専門家を養成する事が主眼であったが

手狭となり、現在は和光市に移設。

内務省衛生局が発展的に改名し歴史館となった。建造物は文化財として公開されている。

特に講堂は今も見学の目玉として有名。

 

 

八芳園:江戸時代初期・大久保彦左衛門の別荘として作庭された。

彦左衛門没後島津藩抱屋敷等変遷し明治に至り久原房之介(日立創業者)が購入、

庭に“鼓中庵”建造、庭園整備したが今は料亭として現在に至っています。

 

 

本日のコース、前半は江戸末期の大名家下屋敷(外様大名・故に不便な高低差があり寂しい、

鬱蒼とした森が多かった)近辺を歩いたが、現在では地上げで道の高低差も緩和され、

寺院もジャッキで持ち上げる等住みやすくなっている。

 

後半は北里柴三郎の業績、官に与しない意気込みを感じましたが

そこには新島襄の精神構造に似通った独立精神を覚えました。

 

文責  小林繁藏