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第57号・平成27(2015)年3月1日
同志社ファンを増やす会 発行

 

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57・生誕之地碑前祭・記念講演【PDF 397KB】

4月の講座案内チラシ【WORD 61k】


1.<ご報告> 同志社創立者 新島襄生誕之地 碑前祭

 

学校法人同志社が主催、同志社校友会東京支部後援で次の式次第に沿って行われました。
・日 時:2015年2月12日(水)10:45より
・場 所:東京・神田一ツ橋「新島襄先生生誕之地」碑前千代田区神田錦町 学士会館横

 

式 次 第

 

司会:学校法人同志社 法人事業部長 北 幸史

 

・賛美歌 312 一同
・聖書朗読ならびに祈祷 学校法人同志社 理事長 水谷 誠
・式 辞 学校法人同志社 理事長 水谷 誠
・挨 拶 同志社校友会東京支部長 兒玉正之 錦町三丁目 町会長 前田智彦
・Doshisya College Song 一 同
・祝 祷 学校法人同志社 理事長 水谷 誠
・献 花 学校法人同志社 理事長 水谷 誠
同志社校友会東京支部長 兒玉正之
錦町三丁目 町会長 前田智彦
(なお、写真を同志社ファンを増やす会のfacebookにアップしています。)

 

その後、次の「記念講演会」が学士会館 201号室にて開催されました。

 

・演題:「江戸っ子・新島襄の夢~神田に錦を飾る~」
・講師:本井康博氏(元同志社大学神学部教授、新島襄の語部としてご活躍中)
・主催:同志社校友会東京支部、同志社同窓会東京支部。
・後援:神田錦町三丁目町会、一般社団法人学士会、株式会社学士会館精養軒、
千代田区観光協会。
・場所:学士会館 201号室 ・参加費:無料

 

2.講演録「江戸っ子・新島襄の夢 -神田に錦を飾る-」
講師:本井康博氏(元同志社大学神学部教授)

 

<講演記録の要約・文責:多田 直彦>
*要約について
講演会は地元神田錦町町内会などの後援をいただき開催された。従って、聴講者には同志社関係者以外の方も多く、本井先生はそのことに配慮された内容で話されました。
しかし、ここでは「同志社ファン・レポート」の読者を思い浮かべて要約しました。


 新島は天保14(1843)年、ここ神田錦町にあった安中藩邸で生まれました。
 そして、明治23(1890)年に大磯で亡くなっています。その生涯は、3つに分けられます。
 まず、第1ステージは、誕生から密出国するまで。第2ステージは横浜に帰国するまで。そして、第3ステージは帰国後から亡くなるまで、です。
 実は、この区切りについて月日の表記で揺れが生じています。その原因は旧暦と新暦、西暦と和暦の混乱です。新島の誕生日は和暦では天保14年1月14日です。西暦では1843年2月12日にあたります。今日は2月12日ですから、生誕を記念するイベントとしては、ベストです。しかし、この学士会館前にある記念碑の英文のキャプションでは、Jan.fourteenth,1843となっています。これは西暦と和暦の混合から来る混乱です。
 また、函館に「海外渡航の地」碑がありますね。現地で同志社が開催する碑前祭は、毎年6月15日に行ないます。なぜか旧暦で祝うことになっています。これに対して、新島が帰国した日や永眠日は新暦しかありませんから、混同はありません。
 もう一つ混乱があるのは、新島の死亡年令です。現在でも46歳、47歳、48歳の3通り出てきます。正解は46歳なんですが、生涯としては、約47年間の人生でした。


 そのうちの21年5か月間をここ神田錦町で過ごしました。新島は長男で、名前は七五三太(しめた)。これはよく知られていますが、少年時代には「平涯」という絵画の号を持っていました。さらに元服後は「敬幹」(読み方不詳)という名(諱)になりますが、以後も相変わらず七五三太を多用しています。

 

 彼が江戸を長期間、離れたのは、2回しかありません。お殿様の護衛で上州安中に行ったときと、備中松山藩の洋式船「快風丸」に乗船して岡山の玉島(現倉敷市)まで航海した時だけです。後者の経験、いわゆる「玉島航海」は、新島の人生で画期的な意味を持ちました。なぜか・・・

 

 新島は、父(民治)の祐筆という仕事を継ぐことを嫌っていました。それ以上に、出仕に嫌気がさしておりました。新島が最初に仕えた殿様は、安中藩主・板倉勝明(かつあきら)は「学者大名」の異名をとるほど、学問に理解があり、勉強好きな新島に特に目をかけてくれました。が、勝明の後を継いだ弟の板倉勝殷(かつまさ)は、
 まさに逆でした。学問に理解がなく、飲み食いが生きがいで、さらに人事も妾次第というあきれた殿でしたから、尊敬できませんでした。
 新島は、次第に公私とも不自由な封建社会から飛び出し、自由を得たいと考えるようになりました。それを決定づけたのが、岡山・品川を3か月にわたって往復したあの「玉島航海」でした。ほぼ正方形の江戸藩邸での生活では、「空は四角」でした。けれども、船上から見た場合、「空は無限」、すなわち「空は丸」かったのです。

 

 こうした体験をしてしまった以上、新島はもとの「籠のトリ」、「袋のネズミ」のような生活には、戻れません。自由になりたい、自由な社会を体験したい、といった想いが膨らみます。要するに「家出」です。
 翌年、新島の姿が函館に見られます。自由な国を目指しての旅立ちです。ここから飛び出した新島は、10年後に「日本初の独立自由人」となって帰国します。
 「自由教育」の拠点として同志社を創設した新島の原点が、この神田錦町にあることを再確認したいと思います。

 

<本井康博先生の近況>
 東京講演翌日の2月13日、京都の新島会館で学校法人同志社から「新島研究功績賞」を受賞されました。大河ドラマ「八重の桜」の時代考証を担当され、八重や襄、覚馬をめぐる講演を全国各地でされたこと、ならびに2005年から刊行開始された講演集『新島襄を語る』を全14巻で完結されたことなどが評価されました。
 これで、この22年間に功績賞3回に論文賞を1回、都合4回の受賞になります。それだけ長く、深く新島研究に貢献してこられたという証でしょう。誠におめでとうございます

 

以上

 

3.<予告>映像で学ぶ「同志社基礎講座」
この講座を4/4,14,21,28の4回で行います。会場は同志社大学東京オフィス。
受講料は同志社大学と小原克博先生のご厚意で無料です。
詳細は添付資料をご覧下さい。お知り合いをお誘いいただきますよう、お願いいたします。

 

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いつもお読み戴き、また、知人友人に転送いただきありがとうございます。

「同志社ファン・レポート」で採り上げるべきことやご希望があれば、お教えください。

同志社ファンを増やす会 多田 直彦

hgf02421@doshisha-u.net

 

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