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NO.66 2015/07/15 発行  
発行:「同志社ファンを増やす会」
多田直彦:hgf02421@doshisha-u.net

 ・・・・・・・<「同志社ファンを増やす会」モットー>・・・・・・・

  新島襄と同志社をもっと知ろう
   学べば、同志社の良さが見え,
  母校に誇りと自信が持て,フアンになる。
 

━━ <目次> ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 

  1.<論文>5回連載 その2

「新島七五三太は何故国禁を犯して密航を企てたのか」

同志社大学名誉教授 井上勝也先生

        井上勝也先生(いのうえ かつや)の略歴
          1936年生まれ。同志社大学大学院文学研究科で教育人間学を研究。
          2004年退職。 同志社大学名誉教授。 
          主著:・『新島襄 人と思想』晃洋書房 1990年刊
          放送:・1991年「新島襄を語る」と題してNHKラジオで4回放送。
         ・1993年「新島襄の求道の生涯」と題してNHKテレビで放映。

   2.村田学長の発言
 新聞記事だけでは、あまりにも不十分ですので、詳細を転載しました。
          賛成、反対以前に母校の学長が何を語ったのか、その事実を知ることが
できます。

3.<予告>
映像で学ぶ「同志社基礎講座」7.8.9月の案内です。

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「新島七五三太は何故国禁を犯して密航を企てたのか」

同志社大学名誉教授 井上勝也先生

              <前号のあらすじは、後述しました。>

* 今号はどのような内容ですか?
** 新島七五三太が江戸に居た頃の時代背景が中心です。
従来、このころの説明は新島が中心で、何か物足りなかったのですが、
今回の内容は興味深いです。

* 確かに、時代背景を知ると状況が立体的になり、情景も目に浮かんできますね。
** ここでは、新島の密航に影響を及ぼした背景に限定して述べられています。
具体的には、天保の改革、 アヘン戦争、ペリー艦隊の来航、ロシア艦隊対馬占拠
事件です。

* そのころ、新嶋は何歳ぐらいでしたか?
** ペリーが最初に来航したのは、安政元年ですから、新島は満11歳で、
   二度目の来航、開国は安政5(1858)年ですから、新島15歳の時で、脱国したのが
21歳でした。

* 今ごろの若者とは、大違いですね。
** 新島は、国防の責を負う武士の卵として自覚から、我が国の現状を考え、
   第二のアヘン戦争に発展していかないか、外国に主権を奪われるのではないか、
   と危惧していたようです。詳しくは、本文をお読み下さい。

●……………………………………………………………………………………●

連載 新島七五三太は何故国禁を犯して密航を企てたのか(2)

同志社大学名誉教授 井 上 勝 也

Ⅱ 世界史の中の19世紀日本―その時代背景

1)天保の改革 <天保12(1841)年‐14(1843)年>

天保の改革は江戸時代約260年間におこなわれた三番目で最後の大きな幕政、藩政の
改革であった。新島が生まれる直前におこなわれたもので、幕藩体制を建て直すための
政策転換を目ざす大改革であった。

体制の基礎を揺るがす要因になった天保の大飢饉(1833-36年)を直接の契機として、
幕府や藩の財政の逼迫や農村の荒廃、百姓一揆の頻発、外国船の度重なる来航といった
内憂外患は幕府や藩の土台を揺るがした。

鎖国という祖法に転換を求め、開国を強いる外国勢力に対して、老中水野忠邦
(1794‐1851)は辣腕をふるった。彼は天保の改革の前年の天保11(1840)年に始まっ

アヘン戦争を他山の石と捉え、強い危機感を抱き、幕府の権威を回復させて西欧列強の
東漸を防ぐ方策を打ち出そうと懸命の努力をした。しかしながら天保の改革の4年前の
天保8(1837)年に起こった大坂町奉行与力大塩平八郎(1793‐1837)の乱が、
天下の台所である大坂で起こり、首謀者が幕府の与力で、著名な陽明学者であったこと
もあって、幕府の威信を落とした。大塩平八郎は町奉行に窮民の救済を上申したが、
聞き入れられず、翌年近隣の農民に挙兵を促したが、失敗して自刃した。
事件の影響力は甚大であった。

幕府の末端機構で治安を統括する大塩平八郎の乱に象徴されるように、体制が弱体化
し、既に幕府の権威は失墜し、幕府権力の衰退は進み、天保の改革は幕藩体制それ自体
を立て直すには至らなかった。財政の逼迫や関係する大名たちの足並みが揃わず、水野
忠邦の失脚と共に天保の改革は失敗に終わった。

2)アヘン戦争(1840年‐42年)

この戦争は欧米列強の東漸の一環であり、イギリスが清国にしかけた典型的な侵略戦
争である。天保13(1842)年6月、幕府は長崎のオランダ商館長からアヘン戦争の終結
後イギリスの軍艦が日本に向かい、貿易の要求を拒否されると戦争に訴えるという情報
を入手し、これが幕府の対外政策と海防政策を積極的に進める動機になった。
幕府は当初からアヘン戦争の情報を収集して戦争の実態を把握していた。ロシアを始
め列強との戦争を避けるための海防策として江戸湾の防備を固め、天保13年異国船打払
令に代えて薪水給与令を出して異国船に穏便な対応をした。また高島秋帆(1798‐1866
)を抜擢して西洋砲術を採用するとともに、各藩に台場の建設を求めた。アヘン戦争及
び清国と英仏連合軍の戦争であるアロー戦争(1856‐60年)はますます幕府や諸藩に列
強からの侵略の可能性と海防の緊急性を認識させた。
幕府の所在地であり、内外の情報が最も早く且つ多く集まってくる政治の中心地であ
る江戸にあって、青少年時代を過ごした新島七五三太(彼は祐筆職の長男)にも日本の
おかれた現状を伝える情報が少なからず届いていた筈である。

3)ペリー艦隊の来航(1853年、54年)
弘化3(1846)年5月、アメリカの東インド艦隊司令長官ビッドル(James Biddle,1783
‐1848)は軍艦2隻を率いて浦賀に来航した。日本が開国して条約を締結する意思を確
認するためであったが幕府の強い開国拒否にあって従順に退去した。
嘉永6(1853)年6月、東インド艦隊司令長官ペリー(M.C.Perry,1794‐1858)は蒸気
軍艦を含む軍艦4隻を率いて浦賀に来航した。ペリーは久里浜に上陸し、浦賀奉行にア
メリカ大統領フィルモアの国書を提出して開国をせまった。佐久間象山や吉田松陰は浦
賀に急行してペリー艦隊の動静を視察している。 

黒船見物に大挙江戸湾に繰り出した民衆は「泰平の眠りをさます上喜撰たった四杯で夜
も眠れず」と率直な驚きの気持を表現した。10歳の新島七五三太も黒船見物に押し寄せ
た野次馬から多くの情報を得たと思われる。

ペリーが来航した翌月の嘉永6年7月、プチャーチンの率いる4隻のロシア軍艦が長崎
に来航、通商と開国を求めている。
安政元(1854)年1月、ペリーは軍艦を7隻に増やして再度来航し、今度は江戸湾深
く侵入して投錨した。アメリカ議会の決議によって権限を与えられたペリーは日本に関
する40冊近い文献を読んで 日本の風土や民族性を含む可能な限りの予備知識をもち
、毅然たる態度で幕府との交渉に臨んだ。軍艦に積まれた大砲は陸地に向けられ、時々
空砲を発して威嚇した。江戸庶民は黒船の空砲に周章狼狽し艦砲射撃によって江戸が焼
野原になるのではと恐怖におののいた。江戸100万人の食料はもっぱら海路で運ばれ、
備蓄はおよそ1週間程度しかなかった。
天保の改革の一環として、幕府は外国船の江戸湾封鎖を想定して、利根川河口の銚子
から利根川を遡り、印旛沼を開削して江戸川に繋ぐ水路を計画したが、工事費の高騰や
台風による高波で工事が中断し、江戸時代に三度も計画されながら成功しなかった。幕
府は外国船によって江戸への食糧補給の道を断たれ、兵糧攻めに遭うことを避けたかっ
たのである。幕府の存続を危険に晒すことになるからである。
ペリーの軍艦7隻が江戸湾深く侵入して威嚇射撃をおこなった安政元年1月には、新島
は満11歳になっていた。彼は現在の11歳と違って、もっと精神的に成長していた。国防
の責を負う武士の卵として、彼は我が国の現状を理解し、第二のアヘン戦争に発展して
外国に主権を奪われるのではと危惧していた。
ペリー艦隊の二度にわたる来航と幕府の祖法を放棄しての開国は安政5(1858)年、
新島15歳の時であった。これらの少年期に体験した最大の事件は生涯記憶に留まり、彼
の思想形成に影響を及ぼしたことが考えらえる。

4)ロシア軍艦対馬占拠事件(1861年)
文久元(1861)年2月、ロシアの軍艦が海軍の拠点をつくるために対馬に来航し、府
中(対馬)藩に土地の租借を求めると共に、芋崎を不法占拠した。府中藩と幕府は自力
でロシア軍艦を退去させることができず、イギリス公使オールコック(Rutherford Alc
ock, 1809-97)に頼んでイギリス軍艦2隻を使ってロシア軍艦に退去を迫り、8月になっ
てやっと退去させることができた。このロシア軍艦対馬占拠事件は幕府の海防能力の欠
如を如実に示すものであり、日本への侵略と植民地化の危機意識は幕府のみならず各藩
にも広がっていった。とりわけ武士階層にはこのような情報は意外と早く伝わるもので
ある。
第二のアヘン戦争ともいわれるアロー戦争(1856‐60年)について、我が国にも詳し
い情報が入ってきていたが、アメリカ総領事ハリス(T. Harris,1804‐78)はこのア
ロー戦争を最大限に利用して、安政4(1857)年11月、筆頭老中の堀田正睦(マサヨシ)
らにイギリス、フランスの艦隊が日本を攻める可能性を示唆している。 このような状
況の中で起こったロシア軍艦対馬占拠事件は幕府や諸藩に大きな衝撃を与えた。
(つづく)

*7/1の内容は、どのような内容でしたか?

**全文は,facebook「同志社ファンを増やす会」にアップしているので
   それを見て下さい。

*要点を聞かせて下さい。

**平成26年は新島が箱館から密航を企てて150年目であるので、
  『新島研究』の特集があったのです。

*それで、基本的とも言えるテーマが採り上げられたのですね。

**新島は何故に密航を企てたか、について3つの構成で論じられます。
Ⅰ、新島が密航するまでに海難事故で海外に渡航した3人の漂流民を紹介し、
Ⅱ、密航に影響を及ぼした時代背景として、天保の改革、アヘン戦争、
ペリー艦隊の来航、ロシア艦隊対馬占拠事件を挙げて考察。
Ⅲ、新島の生い立ちでの密航につながる諸問題を取り挙げる。

<おわりに>、新島の密航についての先行研究者の解釈を紹介し、
最後に井上先生が解釈を述べられる。
この様な構成です。

*「鎖国下に海外に渡航した人たち」では、誰を採り上げている?

**代表的な人物として、大黒屋光太夫、中浜万次郎、浜田彦蔵を紹介している。
この3人以外に吉田松陰。幕府の許可を得ず密航した森有礼を含む15人がいる。

*森有礼も密航したのですね。

**但し、藩から派遣でした。幕府から見ると密航になります。
当時の若者たちが尊皇攘夷を主張し、欧米列強を夷狄(野蛮な異民族)として日本か
ら排除しようとする狭隘な考え方に固執し、また一部は倒幕を目ざして過激な行動に走
っていた。
その中で、新島は、密航を実行するまでの態度は冷静、沈着だったと言えます。

注:論文は5回に分割してお届けします。
なお、『新島研究』の場合、論文の最後に出典がありますが、ここでは分割
していますので各頁に持ってきました。その記載は添付の論文に限ります。

●……………………………………………………………………………………●

2.村田学長の7/13、衆議院での発言内容(詳細)

新聞各紙はこれを数行で報じていたが、全く不自由分です。
詳細が「SANKEI DIGITAL INC」にありましたので、そこから転載しました。

   賛成、反対で無く、事実を確認していただこうと掲載しました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

7月13日の衆院平和安全法制特別委員会での発言の詳細は、以下の通りです。

私は、法律学者ではなく、国際政治学者です。国際政治学者として、個人の見解を述
べる。
まず、今般政府が安全保障に関する法案を提出している背景として、国際情勢の急速な
変化というものがある。
それは、グローバルにも、日本を取り巻く、東アジア太平洋地域、リージョナルな面で
も起こっていることだと思う。

中国が経済的に急速に力をつけ、
おそらく2024、25年には一時的にGDP規模でアメリカを抜くのではないかと
みられているが、大きな経済力を、軍事力やさらには外交的な転嫁しようとしている。

その中で、米国の圧倒的な優位が、完全に崩れたわけではないが、旧来に比べれば、
米国の影響力が、後退しつつあり、わが国は、経済的に、相対的に地位を下げ、
少子高齢化に直面している。

こうした主要国の力の変化、さらには安全保障のボーダーレス化の進行がある。
とりわけ、サイバー空間や海、空、宇宙といったグローバルコモンズでの安全保障環境
のボーダーレス化が一層進んでいる。

こうした中、日本、米国は、2つの市民社会が共有する価値観の幅が広いということ、
どのような国際環境が自国にとって望ましいかという国際環境についての認識目標に
ついても、まったく同じではないが、共有の度合いが非常にとても高い。

そうした中で、日米同盟の強化にあたることは、極めて理にかなっている。
最近、日本と中国、日本と韓国との関係において、改善の兆しが見えてきているが、
この背景にも、日米同盟の強化が効果を及ぼしているのではなかろうか。

これまでの安全保障をめぐる法案での議論では、法律の議論について、
いろいろ議論されているが、そもそも政治が流動的で、大きく変わりつつある国際情勢
についてどう認識しているのか。国際情勢についても大きな議論がやや不足している
のではないか。その点について、与野党が、しっかりと国際情勢認識について、
議論していただくことが大切な前提ではないかと思う。
もちろん憲法の精神を守らなければならないのは、言うまでもない。

わが国が、国際社会の責任ある一員であり続けること。
軍事力は国力の重要なコンポーネントの一つであるが、わが国は、もしその必要が
あるときも、軍事力の行使については、極めて抑制的にそれを行使する。

その大原則、方針にかなったものでなければならない。憲法の学者の中では、
今回の法案については、憲法違反であるという考えられる方が多いと承っている。

私は、国際政治学者ですので、憲法学者のご専門の知見には、十分敬意を表しながら、
あえていうが、今回の法案はもちろん、憲法上の問題を含んでいるが、
同時に、安全保障上の問題である。

もし、今回の法案についての意見を、憲法の専門家の学会だけでなく、安全保障の
専門家かなる学会で、同じ意見を問われれば、多くの安全保障の専門家が今回の法案に
かなり肯定的な回答をするのではなかろうか。
学者は憲法学者だけではないということ。

あと、存立危機事態、重要影響事態は、概念としてなかなか理解しにくい、
あいまいな部分を含んでいることは否めない。
ただ、これらの事態のかなりの部分は、
幸いにしていまだほとんど起こっていない事態の想定であるということ。
仮想事態の想定について、すべての100%明確に定義し、曖昧性を払拭しなければ、
法律として、成り立たない、ということは非常に難しいと思う。

今回の法案は、すでにある、さまざまな安全保障上の法律の間隙を詰めていって、
シェイプアップするものであるが、例えば周辺事態法における周辺事態の概念にも、
ある種のあいまいさが伴っていることは否定できない。

そして国際情勢の変化が、科学技術の向上とあいまって、いっそう大きく早く
なっている。
そうした中、国際情勢をあいまい、不明確として、国際情勢を憲法違反であると
断定したところで、国際情勢そのものは変わらない。

侵略と防衛について。

侵略について、明確なコンセンサス、定義はない。
しかし一方で先の大戦でアジアにおいて行った多くの行為が、かなりの部分で、
侵略といわれてもしかたない側面を持っていることは否定できない。
明確に定義できないことと、何が侵略であるかが、個別に判断できないのは別。

先の大戦では、アジアにおいて行った行為のかなりの部分についてまで、
その侵略性を否定するというような議論を流布すれば、戦後、自衛隊という実力組織を
持って、自衛に徹してきたという戦後の正当性が損なわれるであろう。

明確に100%定義できないからといって、個別の事柄について侵略かどうかの
判断ができないというわけではない。

他方で、国際情勢の流動化、科学技術の進歩に伴って、全ての事柄について、
明確に防衛と侵略の一線を必ず引けるかというと、それは非常に難しくなっているのが
現状。

2つの極端の議論を排したとところで、安全保障を考えなければならない。
中には、今回の法案が通れば、自衛隊が地球の裏側まで行って戦争するという
議論があるが、自衛隊には、そのような能力が多分に欠けていると思う。

また、自衛隊がそのような行為を取るときには、政府の政策判断があるだろうし、
国会の議論や承認がある。

(特定)秘密保護法の関係で、国会で十分な判断ができないという意見もあるが、
もしそうであれば国権の最高機関である国会が乗り越える措置をとればより、
さらに仮に政府が、提案している法案が、国会で認められて、立法が成立しても、
これで終わりではなく、むしろ始まりであろう。

法律ができた後も、運用をめぐって、さまざまな形で、国会だけではなく、
民間で不断のオープンな議論を続けていく必要がある。今、オープンと言ったが、
この法案に対して否定的な意見の専門家や、一般の人もいるのは承知しているが、
だからといって「戦争法案だ」との表現で議論をするところから、安全保障についても
理解の深まりというのは得られない。

他方で、しかし、自分と見解の異なる人たちを、売国的であるというレッテルを
貼って批判するという議論からも、深まりは生まれない。

こういう2つの議論は、共通の土台、つまり不寛容の精神から生じている。

そういう不寛容の精神をわれわれは乗り越えていかなければならない。

もう一つ、今回の法案について、地方の議会からも懸念の声が上がっている。
安全保障や外交の問題は東京だけの問題ではない。

日本全体で、深く常に議論されなければならない問題である。そういう意味では、
安全保障の問題を地方でも、しっかりと議論できる環境を整備しなければならない。
外交安全保障の問題は、首都だけのものではない。

今日の公述人でも首都圏以外から出てきているのは私だけだ。
安全保障の問題を正面から深く議論できるような、工夫をぜひ考えていかなければなら
ない。

最後に、4月から5月にかけて、安倍晋三総理が訪米をされたが、その際米国の連邦議
会で、総理が演説されたときに、日米同盟を「希望の同盟」と呼ばれた。
私は、大変魅力的な表現だと思うが、日米同盟が「希望の同盟」とは、どういうことな
のか。
もっと言うならば、希望とは何か。希望は単なる欲望ではない。
欲望は、個人の利益の追求。希望は欲望ではない。
希望には公共性というものがなければならない。そして希望は、単なる願望ではない。
願望は、現実可能性を無視しても良いが、希望には実現可能性が伴っていかなければな
らない。
希望は、単なる待望ではない。
待望は、待っていればよいが、希望には主体性、能動性が求められる。

そういう意味で、日米同盟が、21世紀を支える国際公共財として、希望の同盟とし
て機能するためには、そうした公共性と、実現可能性と、当事者意識、主体性が
必要であろう。
さらに、仮に今回の法案が成立したとしても、
日米同盟関係では、沖縄という、非常に大きな難しい問題を抱えており、
ここで前進が見られなければ、日米同盟の強化が図れないわけなので、
この法案の国会だけでの議論だけで完結するのではなく、
引き続きさまざまな観点から、安全保障について、その公共性と、実現可能性と、
主体性について議論できる場をもっていくということが大切である。
以上

sankei.com|作成: SANKEI DIGITAL INC

http://www.sankei.com/politics/news/150713/plt1507130012-n1.html より

注:村田晃嗣同志社大学長(国際政治)は公明党推薦です

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3.主催:同志社ファンを増やす会

映像で学ぶ「同志社基礎講座」のご案内
同志社大学神学部 小原克博教授によるインターネット授業
in 同志社大学東京オフィス・会議室

東京オフィスの大型スクリーンで同志社大学の正規の授業を受講します。
「本で勉強するより理解しやすい」と好評です。この機会を活かして下さい。
講座は、曜日別にテーマを整えました。興味のあるものをお選び頂き、受講下さい。
費用は<1回500円>(レジメ代、会場費)当日、お支払い下さい。
申込みは不要ですが、資料準備の都合上、ご連絡いただければ幸いです。
ご連絡、お問い合わせは、多田直彦までお願いします。
メール:hgf02421@doshisha-u.net 電話・fax:047-390-7260

① 月曜日 コース
8/17(月)12:00~13:30 新島襄の略歴(1)なぜ、密出国したのか?
8/31(月)12:00~13:30 新島襄の略歴(2)晩年の関心事、遺言は?

② 火曜日コース 「キリスト教の基礎」連続6講座・3日間
終了しました7/7(火)13:00~16:00 (1)運命を切り開く力
(2):愛とは何か
終了しました7/14(火)13:00~16:00(3):キリスト教の歴史的展開
─世界史の中で
(4): 同上 ─日本史の中で
 
7/21(火)13:00~16:00 (5):キリスト教と文化  
(6):21世紀における宗教の役割
③ 木曜日コース
8/20(木) 12:30~14:00 熊本バンドなぜ、同志社の源流の一つなのか?
9/3 (木) 12:30~14:00 アメリカン・ボード 資金と教師を提供した

④ 金曜日コース
8/28(金)11:30~13:00 新島襄の「教育思想」新島襄の教育ビジョン

9/25(金)11:30~13:00 新島襄の「宗教思想」キリスト教主義とは?
以上

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新島襄と同志社をもっと知ろう
学べば、同志社の良さが見え、
そして、母校に誇りと自信が持てる

「同志社ファンを増やす会」モットーです
多田直彦
hgf02421@doshisha-u.net

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