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NO.68 2015/08/15 発行  
発行:「同志社ファンを増やす会」
多田直彦:hgf02421@doshisha-u.net

 ・・・・・・・<「同志社ファンを増やす会」モットー>・・・・・・・

  新島襄と同志社をもっと知ろう
   学べば、同志社の良さが見え,
  母校に誇りと自信が持て,フアンになる。
連載4新島七五三太は何故国禁を犯して密航を企てたのか.pdf

68号8月15日全文_0001.pdf

━━ <目次> ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 

  1.<論文>5回連載 その4
「新島七五三太は何故国禁を犯して密航を企てたのか」

7)三冊の書物による意識変革

同志社大学名誉教授 井上勝也先生

        井上勝也先生(いのうえ かつや)の略歴
          1936年生まれ。同志社大学大学院文学研究科で教育人間学を研究。
          2004年退職。 同志社大学名誉教授。 
          主著:・『新島襄 人と思想』晃洋書房 1990年刊
          放送:・1991年「新島襄を語る」と題してNHKラジオで4回放送。
         ・1993年「新島襄の求道の生涯」と題してNHKテレビで放映。

   2..<予告>
映像で学ぶ「同志社基礎講座」8.9月の案内です。

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「新島七五三太は何故国禁を犯して密航を企てたのか」

同志社大学名誉教授 井上勝也先生

              <前号のあらすじは、後述しました。>

 <今回のあらすじ>

密航の動機が、新島が読んだ①『聯邦志略』、②キリスト教関係の書物、
③『ロビンソン・クルーソー』 この3冊が大きい影響を及ばしたことは
何度か目にした。ここでは、そのことを深く解き、なぜ、彼の価値観、
人生観を転換するに至ったのかが論じられており、理解が深まった。

7)三冊の書物による意識変革

①『聯邦志略』
20歳の新島は文久3(1863)年、意識変革を引き起こす程の書物に出会った。当時の
若者たちは外国情報を得ようとして、手っ取り早く漢文で書かれた書物を読んでいるが
、彼らにとって漢文は容易に読めたからである。新島が最大のショックを受けたのは、
アメリカン・ボードの中国派遣宣教師として1830年広東に渡ったブリッジマン(E. C. 
Bridgman, 1801-61)が中国語で出版したアメリカ合衆国の歴史、地理、政治、文化、
教育等について書かれた『聯邦志略』であった。北垣宗治教授の研究では、この書物を
新島に貸してくれたのは杉田廉(レン)卿(ケイ)(1846‐70)の可能性が高いという。 
この書は我が国に嘉永6(1853)年初めて輸入され、同種類のものがその後輸入されて
いる。幕府もこの書物に注目して、箕作阮甫が訓点を加えて元治元(1864)年江戸で出
版し、佐久間象山、吉田松陰、横井小楠、橋本左内など、多くの憂国の志士に読まれ、
大きな影響を与えている。

新島は彼の乗ったワイルド・ローヴァー号の船主ハーディーから「何故密航を企てた
のか」を尋ねられてハーディーに提出した手記の中に、彼の密航の動機になった『聯邦
志略』について書いている。彼は「私はこの書を何度も読み、脳髄が頭からとろけ出る
程驚いた」(I read it many times and I was wondered so much as my brain would 
melted(<sic>) out from my head. ) と最大級の驚きを示している。その理由はこの
書物には全ての問題が協議で決まるという表現がしばしば見られ、主権在民の民主主義
が説かれ、独立宣言文の要約が載っており、大統領や無月謝学校、貧民救護所、懲治監
等についても詳しく書かれているためである。例えばアメリカには義務教育の学校があ
って、無月謝であること、身の回りの世話ができなくなったお年寄りは施設に入り、地
域の人々に守られて余生を送っていること、そして彼が一番驚いたのは、国家の指導者
(大統領)が人民の選挙で選ばれるということである。「独立宣言文」は人間の基本的
人権が謳い上げられ、人間の生まれながらの平等、生命、自由、幸福の追求の権利を保
障するために政府がつくられ、これらの目的を破壊するような政府を改廃(alter or a
bolish)することができるという革命権が主張されている。新島が『聯邦志略』に載っ
た独立宣言文の要約の意味を大凡理解していたのではと思われる表現が彼の密航理由の
手記に見られるので引用したい。「我が国の支配者は合衆国の大統領のようであらねば
ならないと思った。私はつぶやいた。おゝ!日本の支配者よ、なぜあなたは我々を犬や
豚のように虐げるのか。我々は日本人である。もしあなたが我々を統治するのであれば
、あなたは我々をあなたの子どものように愛さなくてはならない。(中略)なぜ幕府は
我々を自由にしないのか。否!我々はそのような野蛮な幕府を倒し(cast away)、ア
メリカ合衆国のように大統領を選出しなくてはならない」。 これらの文章は、新島が
幕藩体制を厳しく批判し、アメリカのように国家の指導者を国民が選ぶといった斬新な
考え方をもっていたことを想像させるような表現である。

1776年のアメリカの「独立宣言」や1789年のフランスの「人権宣言」、そして1946年
の日本国憲法に高らかに謳い上げられている国民主権や基本的人権の思想は、新島が生
きていた幕藩体制下には微塵もなかった。個が圧殺され、階層、身分の上下関係にがん
じがらめに縛られて、窒息しそうになっている彼にとって、太平洋を隔てたアメリカが
日本とはまったく異なった体制で、そこに住む人民が主体的な生き方をしていることを
知ったことは、「脳髄が頭からとろけ出る程驚く」に値する大きな発見であった。新島
は社会体制と人間の生き方の関係にも気づいていたのではないかと思われる。

元治元(1864)年6月、21歳の新島は箱館から密航を企てるまでの2カ月弱、開港地
にある各国の領事館や外国船やロシア病院や海防施設に興味を示している。例えば弁天
台場(弁天崎砲台)について彼は次のような兵学的知識を示している。即ち敵船が弁天
台場から離れて航行すれば、我が国の球形の弾丸では届かないので台場は無用の長物で
あるという。 なぜなら我が国の大砲の弾丸は当時1㎞ぐらいしか飛翔しないのが多か
ったからである。幕府は財政的危機にある各藩に膨大な費用のかかる台場の建設を各地
に命じているが、当時の日本製の大砲の能力からして台場が役立たないことを新島は指
摘するのである。ちなみにこの弁天台場は幕末の洋式兵学者武田斐三郎(1827‐80)が
オランダの築城書をもとに設計したもので、10万両の巨費を投じて完成した砲台であっ
た。江戸幕府は安政4(1857)年に完成した武田斐三郎設計の西洋式砦である五稜郭と共
に、文久3(1863)年完成した弁天台場を北の守りとして重要視していた。従って新島が
想像する以上に飛翔距離のある最新の大砲が備え付けられていた筈である。

新島は、10年前の吉田松陰と違って外国を夷狄とは捉えていなかった。日本より文化
、文明の進んだ国だと認識していた。彼はアメリカ製の快風丸が、軍艦教授所で学んだ
学問によって、我が国の帆掛舟とは格段に進歩した外航船であることを理解する専門知
識をもっていた。

②キリスト教関係の書物
新島の青少年期(1850年代後半~60年代前半)は外国の情報を求める若者が増え、キ
リスト教を知ろうとするためではなく、外国情報を得るために、キリスト教関係の書物
が読まれていた。上海や香港で印刷されて、長崎から輸入される書物は幕府の舶来図書
の検閲を受けるが、書名だけでは中味を理解することができず、また検閲の量が急激に
増えたこともあって検閲制度が形骸化していた。 安政6(1859)年以降開港場で外国人
が持ち込む場合や、来日した宣教師たちが持ち込む場合もあった。

新島はキリスト教に関心をもっていても、当時それを日記等に書き留めておくことは
できなかった。しかし彼の友人の発言や、彼が残した僅かな資料が意外な事実を我々に
示している。彼の友人で、蘭学や英学を学び、安政3(1856)年蕃書調所に入り、洋書
の翻訳や通弁をすることになる津田仙(1837‐1908)は文久3(1863)年新島が秘かに
聖書の研究会に参加していたことを後年次のように語っている。「余が若年の頃は耶蘇
教とし言へば、一般に悪しざまに罵るもののみありしが、友人に杉田廉卿なる人あり。
(中略)当時廉卿は翻訳方にて福地源一郎氏及び余などと務向の同じかりしまま、至っ
て親しかりき。廉卿は英書と蘭書を解ししが、元来宗教心ふかき人として、解剖学など
究めゆくに従い、遂に神を認め、而して之を奉ずるには基督教ならざる可らずと信ずる
に至りぬ。新島襄氏即ちそのころの七五三太君に斯教をすすめしもこの廉卿なり。かく
て廉卿は漢籍に通ずる吉田賢輔らと共に、英訳、漢訳の教書を調べ、まことに神こそ天
地の主宰なれと主張しぬ」。 ?津田仙も杉田廉卿も吉田賢輔も新島の友人或いは先生
で、彼らは当時幕府の役所に出仕していながら、秘かにキリスト教の研究会に参加して
いるというのは注目に価いする。

新島は1865年10月、ハーディーに提出した密航理由の手記で、ハーディーにキリスト
教を自由に学ぶことも密航の理由の1つであることを理解してもらうために、最大限記
憶を辿りながら自分のキリスト教認識を次のように綴っている。「私は初めて神を理解
しました。神は大地を大空から分け、大地に光をつくり、草や木や人間や鳥をつくりま
した。そして男の脇腹の骨を切って女をつくりました。(中略)私はイエス・キリスト
が聖霊の子(Son of Holy Ghost)であることがわかりました。そして彼はあらゆる世界
の人々の罪のために十字架にかけられました。従って我々は彼を我々の救い主(Saviou
r)と呼ばねばなりません。(中略)それから私は神に感謝しなくてはなりません。私
は神を信じ、神に正直にならねばなりません」。 「一つの考えが私の頭にひらめきま
した。それは私の両親が私をつくり、育ててくれましたが、本当は天父(Heavenly Fat
her)のものです。従って天父を信じ、天父に感謝し、天父の差し出す道に突き入らね
ばならないということです」。 

これらの文章から新島が旧約聖書の創世記等を読んでいることがわかる。そしてキリ
ストが聖霊の子であり、我々の救い主であり、天父であるという彼の理解は、キリスト
教の中核概念を押さえているといえる。彼は密航理由の手記から20年たった明治18(18
85)年に書いた自叙伝(My Younger Days)で、彼のキリスト教への開眼をもう少し洗
練された表現で述べている。「神を父として認められるようになってから、私はもはや
私の両親と離れ難く結び合わさっているとは感じなくなりました。私は子としての関係
における孔子の教えが狭すぎ、誤りであることを初めて悟りました。私はその時申しま
した。『私はもはや私の両親のものではなく、神のものである』。私を父の家に強くつ
なぎとめていた丈夫な絆がその瞬間ばらばらになって断ち切られました。私はその時私
自身の道を歩まねばならないと感じました。私は、私の地上の両親よりも天父に仕えね
ばなりません。この新しい考えが藩主を捨てて、家や国家を一時離れる決心をする勇気
を私に与えてくれたのです」。 

新島はこれまで身につけていた忠君や親に対する孝行を重視する封建倫理をキリスト
教の世界観によって克服し、彼を拘束していた幕藩体制の縛りからも自由になることが
できた。幕府によって厳禁とされていた新しい価値基準に従って彼は自分の生き方を規
定し、「大死一番の飛躍」(salto mortale)をなし遂げたことをハーディーに理解し
てもらいたかったのであろう。彼はキリスト教関係の書物によって意識の変革をなし遂
げ、それが密航という大きな決断を可能にする要因の一つになったのでは、と私は考え
る。

新島のキリスト教理解は、上述のごとく外国の文化を理解するためといった表面的な
ものではなかった。キリスト教の本質に迫っている。例えば箱館からボストンまでの約
1年間の海上生活で耽読した漢訳聖書の「ヨハネ伝」3章16節「神はそのひとり子を賜っ
たほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信ずる者がひとりも滅びないで永遠
の命を得るためである」(原漢文)に遭遇し、彼は最も感銘を受けたという。膨大な聖
書の中で、この個所を「福音の要となる聖句」 と彼に言わしめるだけの聖書理解がそ
れまでに深まっていたとは驚きである。この問題は専門の聖書学者のさらなる研究を待
ちたい。

③『ロビンソン・クルーソー』
文久3(1863)年、満20歳の新島が『聯邦志略』やキリスト教関係の書物と同じく大
きなショックを受けた書物にダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』がある
。彼は「この書は私に外国を訪れたい願望を引き起こした」 と書いている。
本書は1719年、イギリスで刊行され、オランダ語に訳されたものを日本語に重訳した
もので、『イソップ物語』とともに幕末に広く読まれていた。『ロビンソン・クルーソ
ー』には当時2種類の翻訳書があったが、新島が読んだのは横山由清訳の『魯敏遜漂行
紀略』と黒田麹蘆訳の『漂荒紀事』のうち、後者即ち黒田訳であろうと、日本近世英学
史の研究家重久篤太郎教授はいう。 その理由は京都大学図書館が『漂荒紀事』三巻六
冊の写本を収蔵しており、各冊の奥書に「安中侯板倉氏蔵本借写」の文字があり、安中
の板倉勝明侯の甘雨亭叢書に入っていたものではないかと推察する。もう1つの理由は
、横山の訳本はダイジェスト版で、「最も省略して其大体を挙げ、児童の嬉戯に供へし
もの」 と横山自身が書いているからである。

新島は幼い頃から祖父の寵児であったので、彼は祖父に『ロビンソン・クルーソー』
を見せて読むように勧めた。すると祖父は読んで次のように孫に忠告した。「お前、こ
んな本は読んではいけない。私はこの本がお前を誤って導くのではと心配している」。
 この祖父はひたすら努力して足軽のうちの最上級の地位にまで登りつめ、77歳まで何
人かの足軽を監督し、上役の命に従って雑役を勤める信頼と責任のある役についていた
。 硬直化した社会に不満を募らせている孫が『ロビンソン・クルーソー』を読んで、
あらゆることに果敢にチャレンジする主人公ロビンソン・クルーソーの生き方に共鳴し
、現状打破への一縷の望みを抱いたとすれば、祖父は新島家の将来が危ぶまれると直感
したのであろう。

『ロビンソン・クルーソー』の主人公は17世紀中頃の清教徒革命を成功に導いた清教
徒たち―聖書の教えを純粋に守り、イギリス国教会の腐敗を糾弾する正義感と行動力を
もった勤勉な中産階層―がモデルになっていた。具体的には『ロビンソン・クルーソー
』には緻密な計画性と合理的な行動によって、絶海の孤島で孤独に耐えてたくましく生
き抜き、28年後に文明世界に戻ってきた独立自尊の主人公が描かれている。この市民革
命を推進し、18世紀後半の産業革命を牽引する自立した人間の生き方は、体制に従属し
、行動の自由を奪われて呻吟していた新島に新しい生き方のあることを気付かせた。自
分の置かれている立場を「籠の鳥」とか「袋のネズミ」 と表現し、自由に飛び立ちた
い欲求に駆られている彼に、ロビンソン・クルーソーのような奔放な生き方が彼に新し
い未知の世界に挑戦する意欲を喚起したのである。

20歳の新島にとって、この年に読んだ3冊の書物が彼の価値観、人生観を激的に転換
させる起爆剤の役割を果たしたといえよう。(つづく)

注:論文は5回に分割してお届けしています。
なお、『新島研究』の場合、論文の最後に出典がありますが、ここでは分割
していますので各頁に持ってきました。その記載は添付の論文に限ります。

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<前号について> 「文責:多田 直彦」

タイトルは「新島の生い立ちに見られ、密航につながると思われる諸問題」で
6つのトピックスから詳しく説かれている。
その6つのトピックスの概要は次の通り。

1)ペリー艦隊来航についての印象や当時の状況を推察。

2)蘭学の学びを通じて
新島は、13歳の時に蘭学を学び始め、物理学と天文学の簡単な論文を読める
程度になっていた。ちなみに英学を始めるのは文久3(1863)年からです。
彼の関心は日本の外に向けられ、情報収集しようとしていたのです。

3)新島の学問への意欲について
新島は剣や槍や乗馬よりも学問への願望が強く、15歳の時、自ら
安中藩の家老尾崎直紀に蘭学塾に行けるようにと哀願している。

4)外国軍艦と帆掛舟とを比べて
17歳の新島は、ある日、江戸湾の沖合にオランダ軍艦を発見。日本の帆掛舟と
比較し、戦艦を建造した外国人は日本人よりも知的で優れた国民であると
確信。又、我が国がなすべきことはまず海軍をつくること等を考えた。

5)軍艦教授所(後の軍艦操練所)での学び
万延元(1860)年11月、17歳の新島は築地の軍艦教授所(後の軍艦操練所)に
入学し、数学、航海学を週に3回、1年10ヵ月在学しています。軍艦教授所には
中浜万次郎も教授に加わって、測量、航海術等を教えていた。

6)「快風丸」で江戸と瀬戸内海の玉島を往復した体験により、太平洋という
大海原が青年新島の鬱屈を吹き飛ばし、飛躍的に視野を拡大させた。又、
海を辿れば外国へ行けることを示したこの航海は彼に新しい広い世界があること
を悟り、大海原は彼に未来への夢と冒険心をかきたて、直接感性に訴える教育に
なったのです。
「上記文責:多田 直彦」

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2.主催:同志社ファンを増やす会
          映像で学ぶ「同志社基礎講座」のご案内

同志社大学神学部 小原克博教授によるインターネット授業
                                  in 同志社大学東京オフィス・会議室

同志社大学の正規の授業を東京オフィスの大型スクリーンで受講します。
「知らなかったことが一杯あった」「映像で見ると本で勉強するより理解しやすい」と
好評です。ぜひ、この機会を活かして下さい。
講座は、曜日別にテーマを整えました。興味のあるものをお選び頂き、受講下さい。
費用は<1回500円>(レジメ代と会場費。注:会場費は2時間で2千円必要です)
当日、お支払い下さい。
申込みは不要ですが、資料準備の都合上、ご連絡いただければ幸いです。
ご連絡、お問い合わせは、多田直彦までお願いします。
メール:hgf02421@doshisha-u.net 電話・fax:047-390-7260

① 月曜日 コース
8/17(月)12:00~13:30 新島襄の略歴(1)なぜ、密出国したのか?
8/31(月)12:00~13:30 新島襄の略歴(2)晩年の関心事、遺言は?

② 火曜日コース 「キリスト教の基礎」連続6講座・3日間
終了しました

③ 木曜日コース
8/20(木)12:30~14:00 熊本バンドなぜ、同志社の源流の一つなのか?
9/03(木)12:30~14:00 アメリカン・ボード 資金と教師を提供した

④ 金曜日コース
8/28(金)11:30~13:00 新島襄の「教育思想」新島襄の教育ビジョン
9/25(金)11:30~13:00 新島襄の「宗教思想」キリスト教主義とは?
                                                          以上
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新島襄と同志社をもっと知ろう
 学べば、同志社の良さが見え,
母校に誇りと自信が持て,フアンになる。

これが「同志社ファンを増やす会」モットーです
多田直彦
hgf02421@doshisha-u.net

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新島襄について学び、現在の意義を見つけ
これからの人生に活かしていこう

「同志社ファンを増やす会」本部

多田 直彦 hgf02421@doshisha-u.net

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