同志社東京校友会

TEL 03-5579-9728

同志社東京41会 同志社東京41会

年次会活動

同志社東京41会

奄美・沖縄の離島漫歩  ―唄・酒・花木をもとめてー

 

宇治郷毅 (昭41法卒)

 

8月30日の「同志社フェアー in 安中」で、竹久さんから「原稿何かないですか」と言われ、ストックがあるのを思い出したので、その一つを送ります。雑文ですが。

 

30年ほど前から奄美・沖縄に関心があった。定年を機に3、4年前ついに待望の沖縄生活をした。表向きは「調査研究」という名目で家内を説得し(ごまかし)、気楽に一人暮らしをした。2年間那覇の首里(しゅり)城近くに住んだ。この間、奄美・沖縄の離島を50ほど回った。那覇では「安里(あさと)」という安くてうまい小さな飲食店がひしめく市場(戦前は遊郭があった)で毎晩飲んでいた。そこで地元の人(沖縄人、ウチナンチュウという)と飲んで、たまにサンシン(三線)を聞くのが楽しみであった。

 

老後の蓄えをはたいての道楽生活であったので、ついに金欠になり、足腰の痛も悪化してきてどうしようかと思っていた時、埼玉の実家から帰還命令が来た。隣に住む娘の家に双子(女)が生まれ、人手が足りないので「一刻も早く戻ってこい」というお達しで、これ幸いと実家に帰ってきたが、いまや毎日孫の遊び相手にされて疲れているのが現状である。しかし余禄として、10年ほど不義理をしていた同志社校友会の行事にも参加できるようになったことは嬉しい。

 

奄美・沖縄には、歴史的にも現在も政治、経済上の難しい話が多い。しかしここではそれらを離れて、気楽な話をしたい。多くの離島をまわり、多くの写真を撮ったが、ここではその一端を紹介する。話題は、どうしても好きな酒と歌と花木の話が多くなる。奄美・沖縄にはそれぞれの個性があって面白い。

 

【浮世を忘れて沖縄・鹿児島航路】

 

沖縄に行くなら沖縄・鹿児島航路のフェリーを利用していくと楽しい。鹿児島まで飛行機で行き、鹿児島新港から一昼夜かけての船旅で那覇の泊港(とまりこう)まで行くのんびりの海の旅。奄美諸島の主な島に立ち寄って行くので、私は二等船室で雑魚寝をしながら、いろんな島に降りて放浪した。行き当たりばったりの「何でも見てやろう」式の旅を楽しんだ。もちろん「ハブ(毒蛇)」のいる島では注意はしたが。

 

船では暗いうちはちびちび飲んでいた。明るいうちは時々見える船やトビウオなど見ていると浮世の邪念は飛んでいく。途中、五つの島に立ち寄る。この時だけは、島は乗降客でにぎわう。それぞれがそれぞれの人生を運んでいるようで、見ていると楽しくなる。海が荒れたら、すっぽかされる島もある。

 

●写真は、「フェリーあけぼの」(8,100トン)、沖永良部島和泊(わどまり)港にて

この船の先代が韓国に売られ、不法改造されたあげくに沈没した「セウォル号」と言われる。日本ではあんな怖いことはないが、荒天の時はこんな大船でもけっこう揺れる。

沖永良部島は、西郷隆盛が島流しにあった島で有名。戦後はユリ栽培が島の農産物の主商品。民謡「えらぶ百合の花」は有名。小さく平らな島だが、開花期(11~4月)の島は観光客と様々な色のユリに覆われ天国のようだ。

image001.jpg

 

 

【民謡「島育ち」に引かれて奄美大島へ】

 

この島には若い時からあこがれていた。どうもバタヤンこと田端義夫の「島育ち」のせいらしい。戦前(昭和14)に作られた新民謡だが、戦後ギター片手のバタヤンが歌って大ヒットした。あの低音の独特の節回しも魅力だが、歌詞の南国情緒がよい。ご存知の歌詞はこうだ。(琉球方言(島言葉)では、「お」は「う」に、「え」は「い」に転化し、「北」は「にし」と読む。この方言が耳に心地よい。)

 

一、 赤い蘇鉄(そてつ)の 実も熟れる頃 加那(かな)も年頃 加那も年頃 大島育ち

二、 黒潮(くるしゅ)黒髪 女子(うなぐ)身ぬ恋(かな)しや 想い真胸に 想い真胸に 織る島紬

三、 朝は北(にし)風 夜は南風 沖の立神(たちがみ)沖の立神(たちがみゃ) また片瀬波

 

「加奈」は恋人を指す一般名称。「立神」は、名瀬(なぜ)港の入口の海に屹立する岩で、この港のシンボルであるし、船の安全をたくした信仰の岩。

 

●名瀬のある飲み屋ののれん

名瀬は、奄美大島最大の市であり、昔から開かれた天然の良港である。民謡酒場が4,5軒ある。写真は、通の酒場であったが、方言ののれんが気に入って通った。郷土料理がうまかった。「鶏飯」が有名だが、私は「油そうめん」「レバーの味噌炒め」「パパイヤ漬け」が気に入ってよく食べた。全体に甘味だがそれに「黒糖焼酎」がよく合うのでついつい飲みすぎるはめになる。

image002.jpg

 

 

【長寿にあやかりたいと徳之島へ】

 

徳之島は、サトウキビ栽培と牧畜が盛ん。「長寿と子宝の島」、「心と生命にやさしい島」をスローガンに掲げている。行く前は黒糖焼酎と闘牛ぐらいしか予備知識がなかったが、島は亜熱帯の自然が豊かで、森も深く、変化に富んだ海岸美と紺碧の海とサトウキビ畑の緑が調和して、時間がゆっくり流れているようだった。

 

徳之島には多くの記念碑がる。「西郷南洲顕彰碑」、「犬田布(いぬたぶ)義戦碑」、「特攻平和慰霊碑」、「泉重千代翁の像」、「朝潮太郎記念像」、「高橋尚子ロード碑」など。

 

その中の一つが長寿の島のシンボルで泉重千代翁。生前は翁の家に観光バスが押し掛けたという。長寿の秘訣は、あくせくせずにのんびり生きること、それに少々の焼酎と魚と肉が必要とのこと。現在日本の長寿一は、115才女性。現在100歳以上はたくさんいるが、110才を越えるのは難しいようだ。私の母は101歳で健在だが、自分は不摂生なので、喜寿、傘寿も望むべくもない。

 

●「泉重千代翁記念碑」

昭和51年1月、111才で長寿世界一になる。ひげが見事。

image003.jpg

 

●「特攻艦隊戦没将士(戦艦大和が旗艦)の慰霊碑」

碑には、「忘れないために」の文字あり。不沈空母といわれたが、沖縄特攻作戦に向かいながら大和は1945年4月7日激戦の末、あえなくこの島の北西沖で沈んだという。駆逐艦6艘も失い、すべてで6千人以上が戦死。私の父は、フィリピン沖でアメリカの潜水艦の魚雷攻撃で戦死しているので身につまされた。戦争関係は取り上げたくなかったが例外である。毎年慰霊祭が行われている。

image004.jpg

 

 

【「十九の春」に魅かれて与論島へ】

 

与論(よろん)島は鹿児島県の最南端の小島で沖縄県に接する。40年前は沖縄復帰運動で多くの抗議船が集まった。今では、エメラルドグリンの海にひかれて若者が集まる。マリーンスポーツと釣りのメッカである。最近は「与論マラソン」も有名。

この島は「十九の春」の元歌になった「与論小唄」の発祥地であるという。それに魅かれて立ち寄った。「十九の春(与論小唄)」の碑もあったので間違いない。40を越える歌詞がある。勝手に作ればよいのだが、うまくないと後世に残らない。

 

一、 (女)木の葉みたいなわが与論、何の楽しみないところ、好きな貴方がおればこそ、小さな与論も好きになる

二、 思えば去年の今頃は ユンのあかつき海岸で ともに手を取り語ったが 今は分かれて西東

三、 あなた、あなたとこがれても あなたにゃ 立派な方がいる いくら私がこがれても ユリが浜辺の片思い

四、 飛んでいきたいあの島へ 飛んでいくには羽が無い 歩いていくには道が無い 星空ながめ泣くばかり

 

この歌は多くの歌手がいろんな歌詞で歌っているが、男女の恋愛の機微をうまく歌っているから長く歌い続けられているのだろう。

 

●「渡り鳥の島」記念碑

奄美列島は、渡り鳥のルートで、与論は「渡り鳥の島」と言われる。またこの島で越冬する鳥も多い。島では鳥を保護している。サシバ、セキレイ、ジョウビタキ・・・など。

image005.jpg

 

●「与論城跡」

与論島には、琉球王朝時代の前の時代(三国時代)の「北山」王朝の出城があった。「与論城」だ。目の前に、沖縄本島の「辺戸(へど)岬」が見える。

image006.jpg

 

 

【伝統家屋をたずねて渡名喜(となき)島へ】

 

この島は、沖縄本島と久米島の中間にある。那覇からフェリーで2時間ほど。観光客も少ない。「重要伝統的建造物保存地区」には、赤瓦、白瓦の伝統的な琉球家屋が多く残る。和風瓦も落ち着いて良いが、琉球瓦には中国の影響が残り、異国味が出るようだ。塀は昔は珊瑚石で築かれたが、最近はコンクリートのものが増えたという。強度の確保とハブよけのため。道は砂道で毎日きれいに掃除される。どの家も福木(ふくぎ)で暴風、防砂を兼ねて囲まれている。

 

●「渡名喜島」の民家

伝統的家屋の屋根は赤か白。

image007.jpg

 

●海岸の波よけ堤防

魚の絵がうまいので感心した。

image008.jpg

 

 

【民謡の宝庫をたずねて竹富(たけとみ)島へ】

 

八重山諸島の中では、観光客に最も人気のある島。石垣島から船で15分。この島は島全体が風致地区で、和風、洋風建築は一切建てられない。すべて琉球家屋で、建物から見ると沖縄一の美しい島かもしれない。レンタカー禁止の島なので、観光客は自転車か水牛車にのって回る。水牛車の方は民謡を聞きながら、ブーゲンビリアが咲きみだれる村をゆっくり回る。またこの島は民謡の宝庫で、20以上あるが、そのうちで「安里屋(あさとや)ユンタ」が最も有名。日本本土でも沖縄民謡と言えばまず一番にこの歌の名が上がるほどだ。竹富島の古謡で、方言で歌うとほとんど聞き取れないが、味わい深い。歌詞の一番はこうだ。

 

現代語「安里屋ユンタ」:「さー君は野中の いばらの花か 暮れて帰れば やれほにひきとめる マタハーリヌ チンダラ カヌンシャマヨ」 

方言:「ヒヤ 安里屋ぬ クヤマによ 目差主ぬ くゆたらよ ハーリヌチンダラ カヌンシャマヨ」

 

●竹富島の「安里屋ユンタ」の古里

美女の「クヤマ」という女性は、琉球王朝時代赴任してきた島役人に言い寄られるが、それを拒否して一生独身を貫いたという。彼女の墓も残っている。

image009.jpg

 

●「星砂浜」

「星砂」は3億年前から現在まで生き延びている「有孔虫」で、その殻が星形をしている。浅い海底に住んでいて、その殻が浜に打ち上げられる。西表島、竹富島にある。

image010.jpg

 

 

【花を求めて離島めぐり】

 

沖縄は花の島だ。沖縄人は花好きだ。道端や家の庭でよく目にするのはブーゲンビリア、ハイビスカス、デイゴ、ユウナの花など種類も多い。それぞれの花の季節には観光バスもでる。本土と変わらない風景が繰り広げられている。桜(沖縄では寒緋桜)、ユリ、さがり花など観光バスの対象。

 

●伊江(いえ)島のユリ祭り

伊江島は、沖縄本島中部にある有名な「美ら海水族館」のある本部町の西方目の前にある島。世界中のユリの種類が植えられている。

image011.jpg

 

●多良間(たらま)島の浜辺で

多良間島は宮古諸島に属するが絶海の孤島。この島の浜辺で見た野の花(浜木綿)は沖縄の花の中で一番美しかった。聖書にあるように、栄華を極め着飾ったソロモン王も野草の一輪の花の美しさにも及ばない。納得、納得。

image012.jpg

 

記事一覧へ