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【新島襄生誕の地】碑前祭・講演会・午餐会【レポート】

【新島襄生誕の地】 碑前祭・講演会・午餐会 【レポート】

 

2月12日(水)、神田の学士会館で「新島襄生誕の地碑前祭」が行われ、
碑前祭の後、生命医科学部の八木雅之教授による講演会と午餐会が開催されました。

 

今年は暖冬で春の訪れがいつもより早く感じられる2月12日(水)の朝、

令和になって初めて校祖新島襄先生の生誕を祝うために、神田錦町の学士会館へ。

そこには約百名の校友が177回目の校祖生誕を祝う為、集結していた。

 

幼名・新島七五三(しめた)は、天保十四(1843)年に一ツ橋門外(現・神田錦町三丁目)にあった上州安中藩の江戸上屋敷内で生まれた。上屋敷のあった場所の西側が現在の学士会館になっていて、その南側通りに、「新島襄先生生誕之地」の石碑がある。石碑は上州産自然石で群馬県校友の半田善次郎氏の寄付によるもので、門人、徳富正教(蘇峰)の書で書かれている。碑の建立にあたっては土地の所有が文部省、地上権を東京帝国大学が有していたが、「我が国教育界の偉人の記念碑ならば」と円満に交渉が進んだ。そして、青山の石勝で碑が完成し、昭和16年9月27日に除幕式が行われることになった。

 

しかし、トラックが動かないので碑石を運ぶのが遅れると聞くや、神田錦町の子供達が「我らの町内が生んだ新日本の開拓者、新島襄先生の碑を守れ」と大八車で押しかけたそうです。その熱心さに感激した石勝が何とかトラックを用意し間に合わせたそうです。当日の除幕式には来賓として東大や学士会、新聞社、東京基督教青年会、新島本家、救世団、町内会、校友同窓の関係者に混じり、二百名の子供達が参列し、子供会の代表が祝辞を述べ、町内の大先輩新島先生に負けない良い子供に成りたいと誓い、この碑は我らの手で守りたいと申し出て感激の渦が巻き起こったそうです。

そんないわれのある碑前祭は学校法人同志社の主催で誕生の時間に合わせて10時45分より讃美歌312番「いつくしみ深き」を参加者全員で歌いスタート。約百名の歌声がビルの谷間にこだましました。次いで松岡学長の式辞、東京校友会 児玉正之会長と前田智彦錦町三丁目町会長の挨拶があり、その後に参加者一同でカレッジソングを歌い、最後に碑前に献花をして約20分で終了しました。

 

11時50分からは、同志社東京校友会の主催で学士会館210号室に地域の参加を含めて96名が参加して、同志社大学生命医学部糖化ストレス研究センター チェアプロフェッサー八木雅之教授の「老化の主犯糖化のメカニズムを知り、糖化から身を守る対策を学ぶ」と題した講演会がありました。講演会の前に参加者の糖化年齢測定も行われ、生活習慣を変える対策も教えていただき、興味つきない講演会となりました。

 

13時からの午餐会は学士会館202号室に64名の参加があり、司会は東京校友会 横山徹代表幹事。主催者挨拶は児玉会長と同窓会東京支部 加藤聖子支部長から。そして、松岡学長からの挨拶に続き、来賓挨拶は神田錦三丁目の前田町会長はじめ前列に並ばれたご来賓より。

 

食事と懇談の間には、「初夏の集い2020」の桐山輝夫実行副委員長から、6月31日(日)にホテルニューオータニにて開催するとの案内がありました。最後に、東京校友会 金屋憲二郎副会長より3月末で勇退される松岡学長へのお礼の言葉があり盛況のうちにお開きとなりました。

 

文責/作村満明 〔1977年(昭和52年)法学部卒〕

写真/新田博伸 〔1977年(昭和52年)法学部卒〕