同志社東京校友会

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同志社東京 歩こう会 同志社東京 歩こう会

サークル活動

同志社東京 歩こう会


日  時:2014年10月15(水)10時 ~
集合場所:小田急線 鶴川駅改札
天  候:小雨
参加者数:22

案 内 人:山沢祥吾(36法)
歩行距離:5.0 km

≪コース≫
小田急鶴川駅 ⇒ 高蔵寺⇒ 椙山神社⇒ 妙福寺⇒ 下三輪 ⇒ 玉田谷中 ⇒ 寺家ふるさと村 
鶴川駅(昼食) ⇒ (オプション)武相荘 ⇒鶴川駅(解散)

 また、また雨に迎えられてしまいましたが決行です三輪町の椙山(すぎやま)神社に参拝、古事記、日本書紀にも記されていて、大物主命(おおものぬしのみこと)が祀られています。

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椙山神社に参拝

 神話の里、奈良大和地域、三輪の人が移住し祀ったという社殿です。
 近くには奈良・奈良北・香具山・岡上という名称地があります。しばらく歩くと妙福寺、日蓮宗本門寺、明応2年(1493年)の創建、山門、鐘門、祖師堂は寛文2年(1672年)池上本門寺から移築、日蓮上人が祀られています。桃山時代の様式を伝える建築で東京都の指定文化財、年代を思わせる木々、石畳、広い境内です。

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妙福寺参道の庭石

 ここを後にして目的地の寺家(じけ)ふるさと村へスタート、10数分歩き左手に玉田谷戸横穴墓群の案内板があり、雨のため見学する人、ふるさと村への直行組と2手に別れました。
 この横穴墓は古墳時代後期6・7世紀、屋根形天井構造の家形横穴墓は全国的に類例が少なく、東京都内ではここ以外確認されない貴重例です。

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玉田谷戸横穴墓群

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 暫らく三輪の旧村道を歩き、切り通しを過ぎ隣接、寺家ふるさと村が見えてきました。
 国・県・横浜市3者の協力で自然を残そうと開村、昭和62年に12.3haが保存され現在に至っています。
 蛍・田螺・鰌・はぜ・昆虫・小鳥・野草が生存、四季を通じ楽しめる。稲穂の風景が一部残っていて幸いでした。

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水稲の風景

 ふるさとの森には大池、むじな池、熊の池と3つの池があり、その上が小高い丘でベンチが用意され一望出来、ここでの食事は格別だが、雨のために残念、資料室のある「四季の家」を尋ね、レストラン四季で昼食を考えるも満席の為バスにて小田急柿生駅経由で鶴川駅にて昼食のあと解散しました。

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バス待ちの風景
 オプションとして白洲次郎・正子邸を数名の方が見学、この白洲邸(武相荘)は次郎・正子が昭和18年に引越
し、当時の鶴川村で茅葺屋根の住いのまゝの営みが見られます。住いの名称、武相荘は武蔵と相模の国の境から無愛想をかけて、ひとひねりされた名前といわれています。

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武相荘の茅葺き屋根と庭

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 次郎は当時の総理「吉田茂」に請われ、秘書・GHQとの折衝に当たりました。
 正子は鹿児島樺山元伯爵家の次女で、次郎と結婚、小林秀雄、青山二郎と親交があり、文学、骨董、女性で初めて能舞台に、銀座に工芸の店“こうげい”を営み多方面で活躍、行動派で青山に「韋駄天のお正」と命名されたほど、現物を自分の目で確かめ、観ることをしていたようです。
 父愛輔は元軍人で、大学は新島襄のアーモスト大学の後輩で大磯に別邸があり旧知の仲とも知られています。正子は三輪の沢山城跡から、寺家ふるさと村まで よく一人で散策したといい。心の癒やし、文学の発想、創案気分転換になったようです。
 この地を住まいに選んだ経緯は既に下調べを済まされていたのかもしれません。

(文責 山沢祥吾)

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