同志社東京校友会

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50年会 北海道旅行

 一昨年の会津への「八重の桜」の旅に続き、今年はNHK朝ドラ「マッサン」の余市ニッカと小樽、函館の旅に8名で行ってきました。前回に続き、畑中氏の名ツアコンで、美味しい食事・見どころ満載の北海道西南部を楽しんだ2泊3日でした。

 

2015年6月11日(木)~13日(土)

1日目

 早朝羽田から出発、千歳空港からJRで1時間余り、小樽に。

→ 石造りの蔵で、新鮮な美味しいにぎり寿司ランチ

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→ 海に浮かぶ緑色のガラスのブイを作っていた有名な北一ガラス工場、故ダイアナ妃が実際に乗ったゴンドラや色鮮やかなヴェネツィアン・ガラスを展示する美術館や小樽オルゴール館など見学。 

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→ デザートにルタオ(小樽を逆から読むとルタオ)の有名なチーズケーキを味わう。 

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→ 古い石造りの倉庫街を抜け、運河から小樽のレトロな街並を眺めるクルーズツアー。寒い曇り空でレインコートのサービスを受け、町の歴史や名所のガイドを聞きながら小樽港へ出航。港にはロシア船など多数、岸には旧日本郵船や海運で豪商となった大家の立派な倉庫が立ち並び、中には頭が龍の鯱鉾が屋根に乗せられ、小樽の大火災の後、防火の願いを込めて作られ、豪商達の競い合った時代を思い浮かべました。

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→ 夕食は道産牛のすき焼きを食べ、ガス燈で綺麗にライトアップされた運河を散策し、オーセントホテルへ。

 

 

2日目

 ホテルから山崎ジャンボタクシー(安全運転、ガイドも良かったです)に乗込み、これから2日間の旅をします。

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→ くねくねとした国道右手に断崖・絶壁の海岸線を望みながら、余市ニッカウィスキー工場に着きました。NHK朝ドラ効果で多くの観光客と一緒にガイドを受け、ドラマ撮影された赤い屋根のかわいい工場や、青い空と木々の緑に囲まれたマッサンとリタの家などを見学した後は、3杯のウィスキーを試飲して、朝からほろ酔いでした。 

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→ 積丹(しゃこたん)半島に突出た神威(かむい)岬。アイヌ首長の娘チャレンカが源義経を慕ってこの岬まで義経一行の後を追ってきたが、既に海の彼方へ去ったことを知り、身を投げ高さ40mもの神威岩となった。静御前や他の和人への嫉妬心が女を乗せた船を転覆させたことから、岬の先端には長い間女人禁制となっていた、このチャレンカの道(きつい高低、往復40分)を歩きました。珍しい程の晴天で、真っ青な空・新緑・透き通る青い海(積丹ブルー)・道端の黄色いエゾカンゾウの花は、この旅の最高の思い出となりました。

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→ その岬の下にある小さな漁港の「うしお食堂」で採れたてのウニの昼食。ここでしか味わえないウニの美味しさを知りました。

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→ 泊(とまり)村の鰊御殿。明治に大漁の鰊漁で莫大な富で栄え、100件以上もあった番屋や御殿も、今では資料館として移築されたこの2軒(番屋と客殿)、当時の鰊漁の繁栄を見ました。 
 → 車中から今まで右手に見ていた海が、暫くの乗車で今度は左手に見え、一路、函館へ。

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夕食は、異国情緒豊かに残る函館の街、石造りの蔵のレストラン「紫せん」でとても美味しいフランス料理。この蔵の柱に書かれた「馬」の字を女将に尋ねると、「蔵(くら)の屋根が落ちないように、馬に乗せる鞍(くら)は落ちないのでお守りとの事。港町の蔵の街ならではと思いました。

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→ 夜のライトアップされた多くの教会群を巡り、急な坂道を上り下り…万歩計の話しも盛り上がりました。中には「チャチャ(お爺さんの意)の坂」と言う坂あり、まさしくお爺さんの様に腰を曲げなくては上れないような急な坂道もありました。

 

→ ホテルに戻り、温泉に入った途端に雷・大雨で、なんとお天気まで味方につけたラッキーな旅です。

 

3日目

 泊まった「ラビスタ函館ベイ」は日本一美味しい朝食のホテルとの事、その通りの豪華な朝食で、最終日も盛り沢山の観光の力の源となりました。

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→ 観光客で賑う朝市へ。ウニ・いくら・しまホッケ・メロン・昆布…と、若いお兄さんとの値引き交渉を楽しみながら、益々お土産が多くなりました。

 

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→トラピスチヌ修道院は、多くの修学旅行生も来訪していました。現在は60名程の修道女が会話なく、独自の手話で静かに生活をしているとの事、手作りのクッキーは有名で、また、お土産が増えました。

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→ 五稜郭タワーと箱館奉行所。 幕軍と官軍の最期の戦いの箱館戦争(昔は箱館と書いた)の舞台となり、タワーに上るとフランス築城方式の星型要塞の五角形がはっきり分かります。タワーには歴史解説が書かれ、新島襄先生も掲載され、榎本武揚や新撰組から後に参加した土方歳三の像もあり、幕末の動乱の跡を見ました。

→ ランチは「五島軒」の明治の洋食カレーセットを、趣ある古い洋館の建物のお部屋で頂きました。

→ 新島襄先生の海外渡航の碑。この旅のメインです。実は次の日6/14が同志社の「新島襄渡航の地碑」碑前祭の式典が行われる事になっています。我々の訪碑は前日になり残念なので、港章50年会会長の名刺にそれぞれ記名し、碑前に置かせて頂きました。するとすぐ後にお掃除に来られた校友が見つけて下さり、ご連絡あり、我々も式典に参加できたようで、嬉しく思いました。

 

 
弱冠21歳の若い青年が国禁だった海外渡航をこの港のこの一隅から冒険に出た、その勇気があったからこそ、我々が同志社で学ぶ事が出来、良き教え・良き師・良き友と出会えた事を誇りと思い、大きな感謝を、碑を前にして感じ、感動しました。

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→ 車窓から石川啄木一家の立派なお墓を見て、風の強い立待(たちまち)岬へ。遠くに見える下北・津軽半島を望み、この荒れた海峡を渡る航行の大変さを感じました。

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→ ハリストス正教会。この正教会のニコライ神父に、新島襄が日本語を教えた縁で、神父の導きで渡航が実現されました。教会で説明を受け、ニコライ大主教の肉片を納められたのを拝見し、新島襄を助けて下さった事を、同志社で学ばせて頂けた我々は改めて神父に感謝しました。

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→ 東京湯島の岩崎邸を模して建てられた、ブルーとイエローの色調の美しい函館公会堂、2階のバルコニーからの港と坂の眺めは絶景でした。続いて旧イギリス領事館などを見学し、江戸末期に国際貿易港として開港した函館の町を満喫しました。

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→ 昨夜曇り空の為、函館山登頂を断念していたので、この日も曇天ながら強行しました。ロープウェイの中間までは、函館市内や半島の形がしっかり見えて、雄大なパノラマを楽しみましたが、途中から真っ白の雲に突入し、頂上では辺り一面白一色。これも思い出の一つとなりました。

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→これで観光の全ての計画内容を網羅した充実した旅になり、函館空港で函館塩ラーメンを夕食として、楽しい、楽しい北海道旅行は終了。

 

こんなに笑い、こんなに沢山美味しい食事をし、個性豊かな同期8名の珍道中。その帰路には、もう来年はハワイに行こうとか…またまた夢が膨らんでいます!!

 

   (文学部卒:浅野つね子)

 

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