年次会活動
武州寄居十二支守り本尊霊場めぐり
東京40会「武州寄居十二支守り本尊霊場めぐり」
当日の2月19日(水)は、奇しくもコロナウイルス集団感染のクルーズ船から
検疫開けの下船が始まった日で、
すでに情報ウイルスが不要不急の外出は避けよとささやいていましたが、
先延ばしするより駆け込みを選択しました。
東京40会では秩父札所めぐりに始まり、川越七福神めぐり、玉川大師等のご朱印めぐり、
取手利根川七福神めぐりに今回は全国的にも珍しい武州寄居”十二支守り本尊”の霊場めぐりです。
寄居は戦国時代の長尾景春によって築かれた鉢形城の城下町として、
また、秩父から甲府に至る宿場町として栄えました。
秩父盆地から流れて寄居を起点に扇状地を作る暴れ川の荒川の恩恵を
今も受けているようです(後述)。
寄居駅構内で4人揃い、あと一人で全員揃うのでこれは幸先良いと思っていました。
弁当を買っていた人もいましたが、揃っての昼食と言うことで南口駅前周りを見渡しても、
かつての立派なスーパーらしき建物があるだけで閑散としています。
Googleの地図にあった観光案内所もありません。
前に一軒、エンゼル ケーキ 喫茶の看板があり、店前の小さい黒板にはうどん、
ラーメンなどのメニューが記されています。
他にはカレーライス屋さんが歩いて数分の引っ込んだところにあるぐらいで、
寿司屋、焼鳥屋にホルモン屋も皆閉まっています。
洒落た天使の店名と違って何だかうさん臭い雑多な感じの店ですが、
選択肢がないに等しいので入ってみました。
店内は花屋さんに大衆食堂といった感じです。
丸いテーブルが2~3卓あって、そこには我々と同年代とおぼしき地元の男女数人がいて、
昔の喫茶店の面影があるなと想いながら、大衆食堂の4人掛けテーブルに腰掛け、
電車に間に合うようにと、早く出てきそうな「とろろ薬膳うどん」を4人揃って注文しました。
しかし、なかなか運ばれてきません。
何気なく外を見ていると数十分前の我々と同じ思いでいると思われるH氏が店前を通りかかり、
ここで5人全員揃うこととなりました。
店主らしき人も手伝って、やっと運ばれてきたのが乗車予定時刻、
一本遅らせる羽目になりました。
薬味はゴマとゆず皮で、うどんにネギが結構美味しかったので
店主から神川薬膳うどんの事をいろいろ教わり、
全員うどん玉に山芋を買って置かせてもらって帰りに立ち寄る事にしました。
今振り返ると店の作戦だったかも?
寄居に祀られている干支の十二支は静かな山ふところと、
町中のそれぞれに四つの寺院があります。
八つでは12支になりませんが、二つの干支の守り本尊寺院があるためです。
山ふところを歩き疲れない内に廻ろうと、
なつかしい鋏みを入れる(既に入っている)切符を買って
秩父鉄道の波久礼駅で降り、少林寺から巡ります。
彩甲斐街道沿いが分かり易いと思って歩きましたが、
これが間違いで脇道に入る機会を失い、遠回りをしてしまったようです。
着いたときは2時を過ぎ、予定より40分ほどの遅れです。
少林寺(曹洞宗)は1511年創建の五百羅漢が有名なお寺で、卯の文殊菩薩札所です。
本堂横の六地蔵のある左手から、裏山(羅漢山)を登っていくと道沿いに五百羅漢が現れます。
羅漢像は自然のままなので、草の伸びていない今ごろが絶好なのかと思いながら
標高200m程の山頂にある釈尊と菩薩像を目指します。
![写真1](https://www.doshisha-tokyo-alumni.jp/wp-content/uploads/2020/03/31e010ea77d697ed6c0c3a9fb6841664.jpg)
![写真2](https://www.doshisha-tokyo-alumni.jp/wp-content/uploads/2020/03/09bbc67ecb3712daf0966a96c43dfd95.jpg)
山頂まで延々と羅漢像が続いていました。
山道は敷き落葉になっている所が多く滑りやすいので、
帰りは様子の分かった元来た道を下ることになり、千体荒神は見ずじまいでした。
次の善導寺(浄土宗)は1297年に藤田持阿良心上人が創建、武蔵七党猪俣党の支流である
藤田氏の菩提寺だったことから藤田善導寺とも呼ばれています。
子年の守り本尊である千手観音は本堂横の開山堂に安置されているのですが、
お参りを忘れてしまいました。
本堂は鮮やかな100枚の天井画”百人一首の天井画”で知られています。
![写真3](https://www.doshisha-tokyo-alumni.jp/wp-content/uploads/2020/03/fccbd6a92ff21d1c42d976f5540078eb.jpg)
町中の浄心寺が無住のため、ご朱印と起き上がりこぼしはここにあります。
見事な天井画の記念にと、適宜ご朱印をもらって鉢形城ゆかりの正龍寺に向かいます。
正龍寺(曹洞宗)は花園城主 藤田五郎政行が創建し、
1348年臨済宗の僧實翁和尚が、山号を青龍寺と改号。
1532年に乾翁瑞元和尚が教化して十五代城主藤田康邦が開基となり、
1591年に正龍寺に変わり、藤田康邦夫妻や鉢形城主北条氏邦夫妻の墓があります。
守り本尊は普賢菩薩で辰巳の札所です。
![写真4](https://www.doshisha-tokyo-alumni.jp/wp-content/uploads/2020/03/f619f8c20d32bc53c8cbe1af6aee5415.jpg)
山門をくぐると見応えある立派な仁王門がありますが、本堂は質素なすっきりした感じです。
ここに着いたのが4時で、元気な2人は藤田家・北条家の墓へと登っていきました。
![写真5](https://www.doshisha-tokyo-alumni.jp/wp-content/uploads/2020/03/2328bc9cdd65dcead29a0e12954b6679.jpg)
次に天正寺です。
これと言った見所がないことから、寄居駅に直行しようと言う人もいましたが、
少し寄り道するだけだからと、何とかたどり着きました。4時45分頃です。
天正寺(曹洞宗)は772年に不思議法師が現れ、
安房の国清澄時の虚空蔵菩薩と同じ木で彫り出した
菩薩像を安置したことに由来したと言われ、本堂は1573年に再建され、
時の年号にならって寺号を天正寺と改めたそうです。
丑年、寅年生まれの守り本尊である虚空蔵菩薩は、虚空のように無限の知恵や功徳を持ち
青空のように限りない利益をもたらすとか。
これまで何所も閑散としていましたが、輪をかけての閑散感があり、
住職は土日しかおられないようです。
20分ほどで寄居駅に着きましたが、のどが渇いていたこともあり、
以心伝心で”この地で慰労会”で合意。今日の行程は2万歩程です。
エンゼルの店主が他じゃなくてここで飲め、何でもあるよと強く言うので、
それじゃ、とここに腰を据えることにしました。
取り敢えずビールからですが、なんと、店主が郵便物を届ける所があるから
しばらく留守にすると言い、瓶ビール4~5本につまみを置いていなくなってしまいました。
![写真6](https://www.doshisha-tokyo-alumni.jp/wp-content/uploads/2020/03/7d6fc96bccca94e5025310f044ae390a.jpg)
ビールがなくなった頃に店主が戻ってきて、大吟醸酒などを勧め、熊本震災の時は救援に
深谷の水(ふっか水:荒川の恩恵で地下200mから汲み上げ5年は持つ水とか)を送ったとか、
深谷のモダンな自宅の写真を見せ(この店の現状との落差を感じ)たり、
寄居と深谷の色々な話しをしました。
なんと我々と同い年、酔いのせいもあってか殆どの話しに記憶がありませんが、
そのなかで、寄居町振興事業のためこの店も近々店じまいするとのこと、
そう言えば、昼食処を探していた周辺にその雰囲気はありました。
店主との出会いは正に「一期一会」、
少人数も幸いしての旅の醍醐味を味わえたのかもしれません。
先延ばしてはこの一会はあり得ませんでした。
もちろん、自家製のゆずに深谷ネギも、いっぱい貰って帰りました。
今では不要不急の外出どころか”イベントを開催する際は、
規模の大小を問わず風通しの悪い場所をつくらず、
至近距離で会話する環境にしないよう”とあり、
この自粛ムードでは記しづらかったのですが、誰かが言っていました。
今日は何と言ってもここ(の店)が一番良かったと。
この一言を思い出し奮起してキーボードを叩いた次第で、
紀行文にしては駄文が長くなってしまいました。
今回の行程
寄居駅→波久礼駅→少林寺(五百羅漢)→善導寺→正龍寺→天正寺→寄居駅
世話人:中段