同志社東京校友会

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年次会活動

東京40会

<尾瀬紀行>

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5月31日(日曜日)催行の「40会」日帰り旅行尾瀬コースの思い出です。前日までの予報では、一貫して曇りと傘マークに決まっていましたが、なんと予想に反し晴天!
気分よく集合場所に向かいます。

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 <2F自由席は貸切>

 

東京、上野、高崎各駅から10名が合流、上越新幹線上毛高原駅に定刻の9時19分到着。二台のチャーター便はお待ちかねです。
尾瀬には群馬県側からは、鳩待峠、富士見下、大清水口と三カ所。福島県、新潟県からも入山できます。今回は交通の便の良い鳩待峠からのアプローチです。
鳩待峠迄は、雪解けで通行可能となった水上経由の山越えを選択していました。しかしながら昼食用に予約していた幻の「舞茸弁当」は製造元に引き取りに行く以外に
入手方法はなく、やむなく一台は別ルートでの移動とならざるを得ません。
水上山越えルートは変化に富み、ほとんど対向車とすれ違うこともありません。新緑の中をミニ奥入瀬渓流あり、巨大な奈良俣ダムありといずれも紅葉の名所でもある
そうです。「弁当」組は一般国道ルートですが、そつなく吹き割の滝など経由して鳩待峠で合流、不公平感はなかったようです。
鳩待峠では、下車して初めて下界との温度差にビックリ。30分前から待機のガイドさんと落ち合ったのは、身づくろいした後の事でした。お世話になるのは片品村ガイド
協会の松浦和男氏で、協会長の要職にあり、偶然とはいえ昔から同志社大学と交流があったそうですが、そのことを知ったのは後程のことです。まさしく奇遇としか言い
ようがないでしょう。
<鳩待峠:11時出発>

写真3.<集合写真>.JPG

<集合写真>

 

集合写真後いざ出発! 鳩待峠から山ノ鼻ビジターセンターまではほぼ下り。スタート直後の勾配は急峻になっています。整備された木道で眩い新緑の林の中を通り
抜けます。橋あり、清流あり、早咲きのミズバショウ群生地あり、稀に滑落したと思われる残雪のバリアもあり、変化に富むアプローチです。     
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<山ノ鼻センター:12時15分着 出発点から3.3km>
昼食休憩場所の山ノ鼻センターは、尾瀬ヶ原へ入山する人、帰路の人が交錯しながらの混雑ぶりです。帰路の人達は早朝観光バスで訪れ一足早いご帰還とのことです。
至仏山を望みながらの昼食は、手間暇かけて入手したあの「舞茸弁当」です。折詰の梱包は登山用にも耐えられる仕様なのか、しっかりした包装に、群馬名物・尾瀬・吹割、
真中に舞茸弁当と大きな文字が見えます。その蓋をパカッと開けると一見して分る肉厚のマイタケと上部の狭いエリアに上州鶏、こんにゃく、ウズラの卵、2種類の漬物が目
に入ります。ごはんは見えない状態ですが、構わず割り箸でグイと掘り起しパクッと一口、周りもほぼ同じタイミング、しばし「….」間をおいて「うん、これは旨い」「美味しい」の
リアクション。予約手配した世話人としても思わず舞い上る思いでした。コリコリした舞茸の歯触りと、素材本来の味を損なわないシンプルで上品な味わい、井上食堂という定
食屋さんもどきのお店ですが50年以上に亘る歴史の重みを感じさせます。 天然の舞茸は成長すると大きな蜂の巣ぐらいになるとか。本品の履歴は判りかねますが、天然も
のは地元ではマツタケよりも美味しいと重宝されているようです。

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<山ノ鼻センター:12時40分出発>
いよいよ尾瀬ヶ原探索です。この時刻になると帰路の人もまばらとなりほぼ貸し切り状態になります。燧ケ岳に向って木道をどこまでも行けば、やがて牛首分岐の向こうには
幸せ住むと人のいう下ノ大堀川が待っているはずです。日本の百名山、燧ケ岳(福島県2.356m)と至仏山(2.228m)に抱かれた広大な湿原は「長々と木道ひとすじ尾瀬ヶ原」
の一句です。

写真10.<燧ヶ岳に向かって 歩く 歩く>.JPG

<燧ケ岳に向かって 歩く、歩く>

写真11.<どんどん歩く>.JPG

<どんどん歩く>
途中時間の許す限り休憩をはさみます。この頃からカルピスウォーターを口にする人が出てきますが、それには理由があるのです。話は前後しますが、高崎駅で群馬県支部
長でもあるNYさんから、急いで飲むべからずとばかりにキンキンに凍結したボトルの差し入れがありました。それがぼつぼつ飲み頃を迎え、計算し尽くした粋な計らいは、自販
機の無い湿原では身に沁みたという訳です。
<下ノ大堀:到着14時過ぎ 山ノ鼻から4.2km>

 

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一時間半位進み燧ケ岳が大きく見えると思った頃、ミズバショウの群生地らしきものが目撃されるではありませんか!そう、下ノ大堀川です。早速記念写真や集合写真で目
的達成後は、しばし余韻に浸りました。親しくなったガイドさん(といっても山岳協会会長)との雑談の中で興味ある話題に触れることになります。何かのキッカケで40会が同
社大学と分かったのでしょうか、昭和40年ごろから同大のワンゲル部とは交流があり、北濃さんはよく存じ上げている。皆さんと再会できるのが楽しみですとのことでもありました。

写真13.<集合写真>.JPG

<集合写真>
又、今回で10回を数える旅行会の節目に想いをはせたとき、頭をよぎった面々は…・10回皆勤のH女史。 昨年第二回秩父巡り案内の時に「エ!もう終わりじゃないですか―
膝がガクガク途中リタイアするときはどうしたら…」それから一年。身のこなし表情が絵になります。

写真14.<皆勤のH女史後方はカルピスの群馬支部長NYさん>.JPG

<皆勤のH女史後方はカルピスの群馬支部長NYさん>

・山の神NFさん。一回のみ風邪でリタイアでしたが9回参加。何と云っても毎回ガイドさんを置き去りにしてメンバーを引率するパワフルさは忘れられません。今回は勝手が
違う木道故目立ちませんでしたが、概ねガイドさんの直後をキープされてたようで…・今回、幸か不幸か不参加の豪放磊落のTさん。想定されるシナリオは、山ノ鼻センターで
の昼食、ここまではOK!その後缶ビールを片手に「まだ歩くんかいな。どこまで行くんや」「あそこ」「あそこじゃわからへん、ゴルフ場でも旗あるやん」「!! カートもないの
でここで待機ですな」「うん」がQ&Aのモデルでしょう。ところでTさんは必ず一番に出欠の連絡があるのです。こちらも準備というものがあるので大助かり。などなど想像しな
がらついウトウト―。
オット、ぼつぼつ時間ですね。帰路は同じ道を引き返すので、鳩待峠17時を目標に休憩をはさみながらの行程です。木道なので全員集合して輪になって説明という訳には
ゆきませんが、
会長さんもすっかり気をよくしたのか、聞けば何でも答えてくれる尾瀬の生き字引さんに変身です。 しばし、「尾瀬なるほど講座」プライベートレッスンの趣です。
○1949年NHKが「夏の思い出」を放送、尾瀬が注目されるようになる。
○1960年観光客が急速に増え環境面でも対応が必要となる。
車を降りれば尾瀬ヶ原とばかりに、スリッパ履き、和服姿もチラホラ。
鳩待峠の出入り口の急こう配は安全弁の役割もありますよ。
○1970年代
・ごみの持ち帰り運動ゴミ箱1.400個撤去。全国にも波及する。
・道路整備の計画が進行する。住民が開発予定地に移住、環境庁に直訴中止となる。
○鹿の害は駆除が遅れている。目標の1割しか進んでいない。コスト面がネック。
などなど、立場上の苦労話も吐露されていました。

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さて、山ノ鼻で休憩後いよいよ鳩待峠のへの上り坂に向かいます。途中鳩山峠に最も近いミズバショウ群生地を通ります。なだらかな上り木道を進み 急こう配の手前で最後の小休止。
17:00には鳩待峠に無事到着。協会長の見送りの中チャーター便に乗り込み上毛高原に向かいます。途中滅多にお目にかかれない奈良俣湖に立ち寄り、最後は上毛高原
駅前の蕎麦屋さんで全員会食。楽しい一日の締めくくりとなりました。

写真18.<山岳協会会長 松浦和男様>.JPG

<山岳協会会長 松浦和男様>
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◇東京40会「日本の原風景遺産巡り」遥かなる尾瀬散策
○日程 5月31日(日曜日)9:30~19:30
○集合 上越新幹線上毛高原駅
○天候 晴れ
○現地気温 10.3℃(9時)、14.1℃(最高)、8.3℃(最低)
○参加者 10名
○コース 鳩待峠⇒山ノ鼻(3.7km)、山ノ鼻⇒牛首(2.2km)、牛首⇒下ノ大堀川(1.8km) 片道7.7km
紀行文/写真 世話人 小川 彪

[遥かなる尾瀬への旅・あとがき]
心配された尾瀬の天候だったが、鳩待峠に近づくにつれて、曇りから晴れへと向かう。ラッキー!
初めての尾瀬に心ときめいている人、青春時代にタイムスリップしている人。10名の参加者の思いは、色々でした。目に飛び込む鮮やかな新緑。雪解けの清流と広大な尾瀬ヶ原に
咲き誇る水芭蕉。そして、遥か遠くを仰ぎ見れば、残雪の至仏山や燧ケ岳。・・・・
青空の下、木道を歩みながら、雄大な尾瀬の自然に抱かれて過ごした一日でした。「遥かなる尾瀬への旅」は、参加者の心の中に、貴重な思い出として残ることでしょう。
末筆となりましたが、世話人幹事様には感謝します。
コンダクター 中山 捷介

 

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